Ballistic Trauma
第1話 「Background」
―2777年・南極

吹雪の中、氷の大地に直径数キロとも思われる[大穴]の付近に[HawkBucker]という旗を掲げる調査隊がテントを張っていた。
[大穴]にはいくつものライトが当てられているが、全貌を照らすには至っていない。
ライトのか細い光を飲み込むかのように、ぽっかりと[大穴]は口を開けている。
その[大穴]の淵に立つ人影にもうひとつの人影が近寄る。
「―会長」
そう言って近寄った影は淵に立つ人影にそう呟いた。
「どうだった?」
「はい、まだ[ゴリコノ]はこの事は把握していないようです。」
「そうか、だが油断はするな。横取りは奴等の専売特許だからな。」
「畏まりました。」
そう答えた後、部下らしきその人影は尋ねた。
「―あの、会長…」
「どうした?」
「これは、一体…?」
そう言って、その人影は[大穴]の中にチラリと目をやる−
大穴には中に向けられているか細いライトと、それを飲み込もうとする漆黒の闇が織り成すコントラストの一部に[異形]と呼ぶに相応しい[モノ]が顔を覗かせていた。
「お前も噂ぐらいは聞いた事はあるだろう…[消された一年]を―」
「[消された一年]…、はい、絵空事程度には―」
「かつて、生態系の頂点に立っていた人間は、止まる事を知らない[欲]を抑えきれずにありとあらゆる[もの]を手中にしようとした。そして遂には神の領域にまで踏み込んだ―」
会長と呼ばれる人影は一歩前に踏み出した。
「そして、人間は[罰]を受けた―」
「それが[消された一年]なのですか?しかし、そんな…本当に…?」
「―ふっ、絵空事ではない証拠がここにあるではないか。」
「[消された一年]の間、人々は[7つの大罪]を司る神によって裁かれた―[高慢][強欲][嫉妬][怠惰][憤怒][大食][色欲]…、そして今も我々が生息するこの地に留まり[監視]と[警鐘]を行っている―」
「それが[コレ]…、いえ―[神]なのですか?」
[神]と呼ぶには余りにも掛け離れた姿の一部を晒す[ソレ]を見ると、そう言わざるを得なかった。
「フハハ、あるいは[悪魔]なのかもしれんな―」
そう言って会長と呼ばれる人影は笑った。
「こいつは恐らく[大食]を司る[神]―いや、[魔王]か…[ベルゼブブ]に違いない。」
予想以上の収穫、と言わんばかりに部下と思われる人影の方を見る。
「それが、我々の手に…。」
対照的に、部下と思われる人影の反応は重い。
「何もそう驚く事はあるまい、世界には[こいつ]を除いてもあと[6体]眠っている。」
「ろ、6対!?しかし、どの機関もそのような事は一切…あっ!」
「そうだ、[消された一年]は人間によって作られた。何も[神様が消した]訳じゃあない、こっぴどく怒られた事実を[無かった事]にしたいんだよ、人間って奴はな。」
「そんな…」
「恐いんだよ、恐くて恐くて堪らないのだ…だから隠蔽し、事実を捻じ曲げる…だが―」
そこまで言うと、会長と呼ばれる人影は不意に防寒着の首から上を取り払う。
そして後ろで結わえられた、美しいブロンドの髪を吹雪に靡かせて言う―
「[こいつ]が私の手に入った以上…、もはや[消した奴ら]の筋書き通りには行くまい!」
悪戯を仕掛ける前にも似た高揚感が[彼女]の感情を支配する。
「ウフフフフ…、アーッハッハッハッハッ―!」
高らかに笑いをあげてはいたが、[彼女]は冷静だった。
「至急、ヴァンザントに連絡を―。」
[大穴]から立ち去りながら[彼女]はそう言った。
「はい、畏まりました。」
そう言って部下と思われる人影は携帯端末を取り出す。
「凄腕のエージェントを揃えれるだけ揃えるように言いなさい、それと―」
そこまで言って、[彼女]は初めて戸惑った素振りを見せた。
「―会長…?」
予期せぬ間と初めて見る[会長と呼ぶ人]の[躊躇]に、部下と思われる人影は声をかけた。
少しの間の後、吹雪に消え入りそうな声で[彼女]は呟いた。
 

「―ハイドラを。」
 

第2話 「Vanzandt」
辺りを漆黒に染める夜の中、輝く宝石を敷き詰めたように鮮やかな色彩を誇示する大都市[Stella]。
その人間の知恵と科学と技術の結晶の中にあって、ひと際高く聳え立つビルがある。
地上77階立て、全面マジックミラー張りのシンプルで高級感のあるその建物―
その最上階の一室に[男]はいた。
[社長室]というプレートが付けられたその部屋で[男]は電気も点けず、外から差し込む明かりだけで電話をしていた。
いや、正確には電話を受けていた。
「―わかった、至急準備にかかろう。」
そう返事をした時、男が耳にしている受話器の向こうが沈黙した―
「―ん?どうし―」
そこまで言いかけた時、受話器の向こうで―
「―会長…?」
その呟くような言葉を聞いた時、[男]は[嫌な予感]がした。
僅かな沈黙の後、[男]の[嫌な予感]は的中する―

[出来れば死ぬまで聞きたくなかった名前―]
 

なるべく平静を装い[男]は答えた。
「…結果は保証しないが、期待に添うよう努力すると伝えてくれ。」
そう言って最後の注文に返事をした後、電話を切った―
―正確には切ったのか、切れたのかは憶えていない。
[男]の思考は暫く停止していた。
「0点の答えだな―」
そう言って俯き、苦笑を浮かべる。
本来、[男]の仕える[会長]は[曖昧]な返事など決して許さない。
[出来るか否か]それが全てなのだ。
[いつも]であれば[男]の首を切っていたであろう。
しかし、今回はそれはなかった―
「[会長]も結果は期待せずか―」
窓の外に輝く宝石を見ながら、[男]は大きく溜息をついた。
暫く窓の外を見つめた後、意を決したかのように[男]は再び受話器を取る。
そして、[内線]ボタンを押す。
僅かの呼び出し音の後、向こうから声が聞こえる。
「―はい、こちらオペレータールーム。」
「シエラか、ヴァンザントだ―。」
「あ、社長!お疲れ様です。」
おっとりとした耳障りの良い声が返ってくるが、今はそれも心地良くは感じなかった。
「すまないが、[Acheron]のセキュリティを解除してくれ。」
そう伝えると、受話器の向こうの[シエラ]と呼ばれたオペレーターが激しく動揺したのが伝わって来た。
「―あ、[Acheron]をですか!?」
「―そうだ[Acheron]だ。」
シエラの声のトーンが下がる。
「―まさか、[Inferno]を開放なさるおつもりでは―?」
「…そういう事態になった。シエラ、[Acheron]のセキュリティを―」
いつもは温厚であるはずのシエラが初めて食い下がる。
「恐れ入りますが、[Acheron]は決して開放してはならないのでは―」
「くどい![会長]の命令だ!」
冷静沈着を売りにしているはずのヴァンザントが思わず声を荒げた。
彼がしまったと思った時には声を発してしまった後だった。
一瞬の沈黙の後、受話器から声が聞こえる。
「―も、申し訳ありません…私…。」
シエラが嗚咽混じりの声で謝る。
「―いや、私の方こそすまない、君が悪い訳ではないのに…。」
自分自身の苛立ちをシエラにぶつけてしまった罪悪感がヴァンザントを襲う。
そして、自分自身を落ち着かせるように一呼吸した後、いつもの口調でヴァンザントは口を開いた。
「シエラ、頼む。セキュリティを―」
鼻をすする音が聞こえた後、受話器の向こうからシエラの声が返ってきた。
「ぐすっ…はい、それでは…、セキュリティのパスをお願い致します―」
 

目を瞑り、大きく息を吸い込んで早さを増す心臓の鼓動を抑えながらヴァンザントは答えた。
「[Charon]―」

第3話 「Gibson」
暫くの沈黙の後、受話器の向こうから重い声が返ってきた。
「[Acheron]のセキュリティ…、解除しました―」
「わかった―」
精一杯平静を装いながらヴァンザントは[内線]の受話器を置いた。
「ふぅ―」
大きく深呼吸をすると、最後にもう一度窓の外から眼下に散りばめられた[宝石]に目をやった。
「行くか―」
誰に言うともなく、むしろ自分に言い聞かせるようにヴァンザントは呟いた。
―ガチャリ。
いつもより重く感じる身体と、憂鬱な気分で扉を開けた時―
「―あ」
不意に扉の向こうから声がした。
見た事のない顔だ、新入りだろうか。
「あ、あのっ―」
思わぬ状況に戸惑っていると、向こうが声を発する。
見れば、かなり幼く見える[少女]が立っていた。
「悪いが、今は取り込んでるんだ、後で―」
「本日付でこちらにお世話になる事になりました、ギブソンです!」
食い気味に挨拶をされる。
「―ん、ああ、ギブソンか、宜しく。」
「はい!」
面倒臭そうに挨拶を返してしまったが、[少女]はキラキラとした笑顔で返事を返してきた。
「せっかく来て貰って悪いんだが、私は大事な用事があってね、後日またゆっくりと話そう。」
「―あ、そうでしたか。すいません…」
よく見ればかなり幼く見えるその[新入り]は申し訳なさそうに頭を垂れる。
少し罪悪感に襲われたが、今は気にしている時ではない。
「じゃあ、またなギブソン。」
そう言って立ち去ろうとした時、後ろからの声がヴァンザントの動きを封じる。
「―あの、[Ballistic Trauma]ってご存知ですか?」
瞬時に全身を液体窒素で冷やされたような感覚にヴァンザントは振り向く。
「お前―!?」
少女の屈託のない笑顔が、その時だけは[悪魔の微笑み]に見えた。
「いえ、ちょっと耳にしたものですから―。」
そしてギブソンは言葉を続ける。
「ヴァンザントさんなら、知ってるかなぁって?」
「少しだけならな、[正確には噂話を聞いたレベル]だが―」
「そうなんですぁ、残念。誰か知っている人はいないんですか?」
ヴァンザントは努めて冷静さを装い、こう答えた。
「生きた人間でそれを話せる者は居ない。ただ―」
「ただ―?」
ヴァンザントは、最後にこう付け加えた―
「俺達が想像し得る最悪の悪夢、それが[Ballistic Trauma]だと聞いた事はある。」
そう言うと最後にギブソンをチラリと横目で見やり、足早に[目的地]に向かった。
正直言うとこの場から早く立ち去りたかったのかも知れない。
廊下を曲がり、エレベーターのボタンを押した所でヴァンザントは呟く。
「ギブソン…か、少し調べた方が良さそうだな。」

一方、ギブソンもヴァンザントの背中を見送った後、独り呟く。
「なぁんだ、収穫あると思ったのになぁ…。」
溜息をついて廊下の窓に目をやる。
「それとも、アイツ…隠してる?」
ギブソンは廊下の窓から外を眺めながら続けた。
「まぁ、とりあえず[ヤツ]が実在するとわかっただけでもいっか…。
必ず見つけてやるわ…、必ず!」
不意に[少女]の瞳から流れ落ちた一筋の雫が頬を撫でる。
 

「姉さん―」
 

第4話 「UNKNOWN」
UNKNOWN

 

 

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